もかさんとの出会い
こんにちは。
もかさんを我が家に迎えたのは私の強い希望です。
愛犬を亡くし、母はペットロスになっていました。もう二度と生き物は買わないと宣言し、それは今も変わっていません。
父は仕事が忙しく、あまり落ち込んでいる姿を見せませんでしたが、やはり喪失感は感じていたと思います。
私はというと、最後の愛犬の様子が忘れられずにいました。愛犬は、家にいる時間の1番長かった母によく懐いていました。そんなあの子が、最後に自分の足でよろよろと私の元に歩いてきたのです。
私のことも、ちゃんと大切に思ってくれていたのです。それに気が付いた時には、もうあの子は逝ってしまいました。
もっとたくさん撫でてあげればよかった。
後悔ばかりでした。
そんな中、家族で買い物に出掛けた時です。
もうペットフードを選ぶこともないんだな、と分かっていても足は自然とショップに向かっていました。
いつもは犬猫コーナーしか見なかったのですが、たまたま小動物コーナーから鳥の鳴き声が聞こえました。
あんなに鳴いて大丈夫なのかな?と心配になりのぞいてみると、そこには鳥だけでなく、うさぎさんやハムスターもいたのです。
うさぎさんの知識が多少なりともある今では、そこは劣悪な環境だったのだと分かります。とても耳が良く、ストレスに弱いうさぎさんが、あのような環境で暮らせるはずがないのです。
当時の私は、恐る恐るうさぎさんの様子を見ていきました。
その中で、ひときわ小さく、隅っこでうずくまりほとんど動かないうさぎさんが目にとまりました。
怯えるようにぎゅっと小さく丸まり、食べ物も、同じケージに入れられていたもう1羽にもぐもぐと食べられ、素人の私が見ても心配になるような弱々しい子でした。
試しに抱かせて貰うと、やはりほとんど抵抗しません。すぐにケージに戻され、ご褒美のおやつを店員さんから渡されても拒否し、その間にもう1羽におやつを横取りされてしまうという有様でした。
この子はこのままでは生きていけないのではないか、と思ったのを覚えています。
そして決め手はもかさんの誕生日でした。
祖父の命日である7月1日に、もかさんはこの世に生まれてきたのです。
何か運命的なものを感じました。
父と母を説得し、飼育書を読み、改めてもかさんを迎えに行きました。
もかさんはとても賢く、トイレをすぐに覚え、水もいつのまにか給水ボトルからちゃんと飲んでいました。
心配していた食事も、たくさん食べ、たくさん出し、たくさん飲み、すくすくと育ちました。病院へは爪切り程度しかお世話にならない子でした。
うさぎ部屋にした6畳程のスペースにケージを置いているのですが、自由に散歩していても、トイレの際にはきちんとケージ内に戻り、済ませてから出てきます。
あんなにもびくびくしていたもかさんが我が物顔でくつろいでいる姿を見ていると、思いきって良かったなあと心の底から思います。
実はもかさんは、生まれつき左側の下の歯が内側に向かって生えており、それに伴って鼻が詰まっています。遺伝的なものだそうです。そして、それによりあまり硬いものは食べられません。
そういった事は病院に行って初めて知ったので、本当に早く迎えることができて良かったです。
最近では3番刈りもあまり食べなくなってきてしまったので困っています。ペレットは食べるのですけれど。どうしても食べてくれない時は、病院で処方してもらった青汁をシリンジで与えています。
今も私に寄り添うようにぴったりとくっつき寝息をたてているもかさんが愛しくてたまりません。
辛い思いや、寂しい思いをするうさぎさんが少しでも減るように祈っています。
今後もっとうさぎさんに対する知識を蓄えて、そういった活動に関わりたいです。